第二十回記念 鵜澤久の会「檜垣」について ~私の思い~

能楽師にとって最奥の曲として「姨捨」「檜垣」「関寺小町」の三老女があります。

父は七十七歳の時に周囲の勧めもありまして、「姨捨」を披きました。

その時の父の覚悟を決めた様子が、並大抵なものではなかったのを今も思い出します。

そして「檜垣」。こちらも大変に重い曲です。

昔ならば、一生やるはずもない曲で、まさかやる事になるとは思ってもいませんでした。

しかし、そうと決まったからには、いまは亡き観世寿夫師が生前申されていた

「野宮」→「定家」→「檜垣」に至る系譜のなんたるかを、稽古を重ねていく中で、何とかしてつかみ取りたいと思います。

稽古をすればできるということでは無いと思いますが、私には、稽古、そして稽古、と、身体で見つけていく事しかありません。

これまでの自分、そして、これからの自分をこの曲にぶつけて舞台に立ちたいと思います。

 

年末の忙しい時節ではございますが、このひとときを共にしていただければ幸甚に存じます。

 

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